〜想い出のキッチンのリフォーム〜
プライベートなことですが、
今日20日水曜日から、21日、22日、24日日曜日と2階の弾丸キッチンリフォームが
始まりました。
私の両親の建てた家を32年前にその頃流行りだした二世帯住宅に建て替え同居が始まりました。
私たち家族が相模原市の地に転居すると決めたのは、家系的に糖尿病のある母が外出先で
低血糖を起こし幾度か救急車🚑のお世話になることが起こるようになったからでした。
二人の兄は仙台と浜松に在住しており、同居できる可能性がいちばん高かったのが私たち
家族でした。
長男は転居と同時に小学校入学🌸、次男は3歳のときでした。
それから32年、2階のキッチンには入学と同時に入ったサッカー⚽️少年団(次男は幼稚園から)の平日練習と毎週末の試合や練習のために親子で出かけるための🍙おにぎりづくりやスポーツに耐えるための日々の食事や親子三人のお弁当づくり、その後クラブチームに所属した二人の練習前と練習後の食事、父とそして母のためのカロリー制限のある食事づくりなど、一時期は冗談混じりに『私は賄いのおばさん😅』と言っていたこともあるくらいでした。
まさに山田家の身体を支えてくれたキッチンでした。
その後、まさかそんな私がキッチンに足を踏み入れることが出来なくなる日がこようとは
想像もし得ないことでした。
幾度か書かせていただいていますが、
うつ病の経過の途中で突然料理と洗い物ができなくなり、キッチンに足が踏み入れられないほど辛かった時期もありました。
でも、先生に『自分でスイッチ👆を押さないとこの先できないままですよ。』と言われたときにはかなりショック😆だったことを覚えています。
「押すか?押さないか」は自分が決めることです。
ラッキー🤞だったのは私にはスイッチ👆を押すチャンスを与えてくださった人たちに恵まれたことです。🙏
人の脳とこころの関係は私自身を通してみても本当に複雑で興味深いものだとつくづく思います。
両親が居た1階のキッチンは母に起きた様々なこと、父がある日突然、朝出かけるとき
見送ったのに夕方突然の救急車で搬送され、そのまま病院で4ヶ月お世話になり、家には
戻れず病院🏥で息を引き取ったことが、私のココロに蓋をすることになっていたと、
うつ病になって8年が経過した頃《ギャラリーモンステラ》を開いたことがきっかけで
気づくことになりました。
「この先自分が死ねまで多分このままでいい。」と思っていた1階のキッチン、ココロの蓋が開いたらもっと開けたくなり大好きな場所となったハワイ島をイメージたキッチンにリフォームしました。(その後ランチを提供させていただくことになろうとは夢にも思わず。😅)
今回の2階のキッチンは人生100年時代を見据えたとき、私の付き合っていく病気は、
介護施設や老人ホーム、療養病院では過ごすことが出来ないと考えています。
その場合、私が要介護者(今でも部分的には要介護者ですが😅)となったときに、どうにか
自宅で生活していく手段が必要となります。
また要介護者とはならないまでも、年齢を重ねていく上で大事になってくるのが
【安心•安全な住まい】であることです。
32年経った劣化もですが、高いところに物を収納しないようにしたいと考えてのリフォーム
です。
私にとっては2階キッチンの方が辛い想い出だったはずなのに、1階のときより気持ちは
明らかにポジティブな感じがするのです。
「どうしてだろう❓」と考えてみたら、元のようにはいかないけれど多分あれほど辛く
苦しみながら、自分でスイッチ👆を押しながらひとつひとつ克服してきたからではないか?との想いが浮かびました。
これから先の人生がどのように変化していくのか?楽しみたいと思います。
ではちょっと🤏ずつビフォー➡️アフターです。
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